12/2 説教要旨

マタイによる福音書8章18~22節
 イエス様は群衆と「弟子」を区別されます。ファンである者と「弟子(キリスト者)」は違うのです。そのことが弟子に「向こう岸に行くように命じられた」ことにあらわれています。向こう岸は「神の国」を暗喩しています。この世から、向こう岸の神の国に居場所を変えられた者が「弟子」です。弟子はイエス様ご自身が探し出して神さまのもとへと連れ戻した者たちです。ここに主イエスの大切なお働きがあります。福音を告げ、病を癒し、そして「弟子」を探し出されたのです。そこに自分から進んで弟子になりたいと申し出た律法学者がいました。しかしイエス様は、彼の願いが向こう岸ではなくこちら側にあることを見抜いておられました。また、弟子が父の葬りを願い出たとき、「わたしに従いなさい」と言われました。私たちにとって向こう岸にわたるとは「洗礼」を意味します。その時に、様々な心配が私たちをこちら側に残そうとします。しかしイエス様は厳しいほどの言葉で、まずあなたは「従ってきなさい」と言われます。まず向こう岸に、神の国に居場所を得なさいと言われるのです。死を嘆くことは死に支配されている者に任せればいい。しかしそこに神の国の命の福音を携えてあなたは行かなくてはいけない。だからまず、「わたしに従いなさい」と言われるのです。信仰を持つとは、神無きものであった私たちが、神と共に生きるものとなるということです。死を打ち破る神さまが私たちに与えられるのです。

2018年12月10日