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説教要旨、牧師の思い、集会案内、会報などを記したサイト管理人のブログです。

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礼拝の再開について

7月5日より、礼拝堂での礼拝を再開しました。感染症予防のための注意をまとめましたので、「礼拝の再開について」のPDFを必ずご覧ください。

※新来会の方へ 万一クラスターが発生した場合に来会者を把握するために、新来会の方には必ず受付で用紙に連絡先をご記入いただきます。ご理解の上、ご協力くださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。日本基督教団 西荻教会 役員会

2020年08月22日

2020/2/16の礼拝説教から

マタイによる福音書16章1~4節
イエス様が救い主なのか、神様から遣わされた方なのかを試そうとして、天からのしるしを求めた人々がいました。その人々にイエス様は痛烈な言葉を返しておられます。天からのしるしを求めるのは信仰熱心なように見えますが、実際は「よこしまで神に背いた時代の者たち」として、神様に背を向けていることをあらわしています。しるしをもって人々を驚かせて、イエス様を救い主として信じさせればいいと誘惑したのは、荒野でイエス様を試した悪魔でした。天からのしるしがあれば信じるというのは、悪魔に支配された心なのです。そのように、人は悪魔の支配する時代の中にいます。しかし、神様はその時代の中に独り子を送ってくださいました。しるしを求めることは神様を試すことで、それは罪です。しかし、このような罪に支配されている私たちを救うために、救い主は来てくださったのです。そして、しるしを与えてくださいます。それを信じるならば、「夕焼けだから、晴れだ」と言えるように、神様の救いの時は来ていると信じるためのしるしです。それを「ヨナのしるし」と言われます。これは旧約聖書のヨナ書のことを示して、イエス様ご自身が十字架で救いの御業を成し遂げられた後、三日目に復活なさることを言われています。死からの復活という神様によるしるしが与えられます。唯一のしるしであるイエス様の復活によって、私たちは神様の救いを信じ、よこしまな時代から神様の救いの完成へと向かう新しい時の始まりを知ることができるのです。

2020年03月23日

2020/2/9の礼拝説教から

マタイによる福音書15章29~39節
既に読んできたマタイ福音書の記事を思い出させるような箇所です。「山に登って座って」というのは、山上の説教でのイエス様のお姿を思い起こさせます。大勢の群衆が病人を連れて来て、彼らをイエス様がいやされたことも、これまで何度か読みました。救い主の到来を意味する光景として、11章5節でイエス様が示された光景です。そして四千人に食べ物を与えた奇跡は、5千人に食べ物を与えた奇跡とそっくりです。しかし、これまで読んできた記事を思い起こさせることにこの箇所の意味があります。同じことであることが大事なのです。なぜなら、このイエス様の恵みの御業にあずかったのは、異邦人だからです。マタイ福音書は、群衆が「イスラエルの神を賛美した」と記しています。これは異邦人がイスラエルの神を賛美したということです。この箇所の前でイエス様は「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」(24節)と言われました。しかし、カナン人の婦人の言葉によって、神の憐みは異邦人にまでも及ぶことが明らかになりました。神様の御心を知って、イエス様はユダヤ人の間でなさった神様の憐みの御業を異邦人の間でも、全て行ってくださったのです。イエス様は、ユダヤ人だけの救い主ではなく、異邦人にとっても、そして私たちにとっても救い主として来られたのです。

2020年03月16日
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