12/9 説教要旨

マタイによる福音書8章23~27節
 イエス様が嵐を鎮められた話はマタイ福音書以外の福音書にも記されています。マタイ福音書はこの話を「向こう岸」へと弟子たちを送られ最後にイエス様が船に乗られたあとすぐに嵐が起こったように記しています。船に乗る弟子たちは神の国に招かれた者たちです。彼らを救いから遠ざけようとするものが「激しい嵐」に喩えられています。嵐の中で弟子たちは「主よ、助けてください」とイエス様に助けを求めます。私たちも困難に出会う時、苦しみの時、必死に助けを求めて祈ります。神さまに助けと憐れみを求めて祈ります。そんな時、イエス様はどうされていたでしょうか。眠っておられたのです。なぜなら父なる神さまを信じ抜いておられたからです。私たちを愛しておられる神は、私たちの苦しみを見逃すこともなければ、苦しみの中から救ってくださらないはずがない。だから安心して眠っておられたのです。ここに信仰があります。イエス様は失われた私たちを探し出し、向こう岸である神の国へと導いてくださいます。それは私たちが強い信仰をもって神さまにお応えしたからではありません。むしろ私たちの信仰は、こちら側に残る人々と何の変りもないほどに「薄い信仰」です。けれども一つだけ大きな違いがあります。それは、私たちの向こう岸への航海には、最高の信仰をもつ神の独り子、救い主であるイエス様が一緒にいてくださるのです。だから薄い信仰のままでいいというのではありません。イエス様をお手本にして信仰を学びます。けれども約束してくださった神の国の救いはイエス様が一緒にいてくださるから、どんな嵐も妨げることはできないのです。

2018年12月21日