12/30 オープンチャーチ礼拝説教から

マルコによる福音書2章22節

「新しいぶどう酒は新しい革袋に」という言葉は、聖書由来のことわざとして日本でも使われます。新しいぶどう酒とは、盛んに発酵している状態のものです。当時は酒を革袋に入れて運んだそうです。その際に、盛んに発酵している新しいぶどう酒を、弾力を失って固くなった古い革袋に入れると敗れてしまいます。そこから、「新しいことを始めるには新しい発想や方法、組織や仕組みが必要だ」という意味のことわざになりました。最近は特に金融経済の専門家が盛んに使っています。
「ソウル・サーファー」という映画があります。主人公は、ベサニー・ハミルトンという実在の少女の自分の体験を記した本が原作です。ベサニー・ハミルトンは本を書いた時点で14歳でした。プロのサーファーを目指す、サーフィンの大好きな少女でした。その腕前は大会で優勝し、既にスポンサーがつくほどでした。13歳の時のことです。ある日、友達といっしょに海にサーフィンに出かけました。サーフボードに腹ばいになり、海に浮かびながら大きな波の来るのを待っていました。その時、左側から近づいてくる灰色の大きな物体にハッとしました。それは巨大なサメだったのです。サメは、サーフボードに乗っていた彼女の左腕を、サーフボードごとかみちぎりました。肩まで食いちぎられました。近くにいた仲間の協力で岸まで戻ろうとしました。しかし岸まで400メートルもありました。大量に出血し、死ぬかもしれない。その時、「お願い神さま、わたしを助けて下さい」と繰り返して祈ったそうです。そうして、浜につくまでの15分間、「死ぬかもしれない」という恐れが、祈りによって「わたしは神さまによって守られている」という思いになったそうです。彼女は、体の半分の出血をし、左腕は肩から先を失いました。救急車が来るのが永遠に長い時間に思われたそうです。救急車が来て、救急隊員が手を握り「神さまは決して君を見捨てないよ」とささやいたそうです。御言葉をくださいとお祈りしたら、旧約聖書の1節が与えられた。 「わたしは、あなたのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ書29:11)。
やがて彼女にマスコミが注目するようになりました。彼女は本の中で述べています。「わたしは、サメに襲われたことを大げさなメロドラマに仕立てないように気をつけている。それよりも焦点を当てているのは、わたしがそれまでの人生から拾ったかけらの数々を、以前とは違う新しい自分のパーツに合わせていることだ。言わば神さまは、つかの間限りの世界の注目を与えてくれたのだ。できるだけ役に立つように活用した方がいい。」実際、 サメに襲われ、腕を失ったことはずっと彼女を苦しめ続けました。「でも、わたしには土台となる硬い岩がある。それは、神さまがわたしを愛してくださり、どんなサメにももぎ取られないわたしの人生の計画をお持ちだと信じることだ。」と彼女は述べています。 (「ソウル・サーファー」ベサニー・ハミルトン著)
この14歳の少女から多くの人に励ましと希望が伝えられました。彼女自身が語っています。これは彼女が立派であるとか、偉いということではありません。彼女と共に生きて下さっているキリストが素晴らしいのです。新しい救いをもたらす方なのです。彼女を生かし、立ち直らせ、希望をお与えになったのがキリストでした。
今年の漢字は「災」だそうです。今年のあなたはどうでしたか?あなたは何をしてきました?きっと、あなたも他の人も、あなたの古いあなたを見て、あなたを判断しようとします。けれど、キリスト共にあるなら、あなたまでそういう見方であなたを判断しては間違えます。あなたを訪れるキリストの恵みは新しいのです。様々なものを「災」と見てきたかもしれません。しかし、キリストの到来は新しいのです。新しい革袋となってその恵みを溢れるほどに注いでいただきましょう。

2019年01月09日