1/13 聖日礼拝説教要旨

マタイによる福音書9章1~8節
イエス様が中風の人を癒してくださった話について、マタイ福音書は大胆にエピソードをカットして、読む者をイエス様へと集中させます。そこでマタイ福音書が中心としたのは、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っている」ということです。私たちの罪を赦すことがおできになるのは唯一、「神」だけです。その意味で、イエス様が罪の赦しを告げられた時に律法学者が心の中でイエス様を非難したことは、おかしなことではありません。しかし、この非難を超える事実がここに起こったのです。それが、「神が人として地上に来ておられる」という事実です。主イエスは、罪を赦す権威を持つ真の神の子であることを福音書は知らせています。そして、最後の人々の驚きも、マタイ福音書は「人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した」と記しました。この罪の赦しの権威を神は「人間にゆだねられた」と言うのです。これは主イエスの御名によってたてられる教会を意味しています。「罪は赦される」と言うのと、「起きて歩け」と言うのとどちらが容易いか、とイエス様は問われました。「起きて歩け」と言うことのできる賜物は主イエスや教会以外にも与えられています。例えば医者はまさしくそうです。「起きて歩け」というのに神の奇跡である必要はありません。今日のように医療が進歩した中ではなおさらです。しかし、「あなたの罪は赦される」という約束の言葉は、教会にゆだねられた神の権威です。これは他にはない唯一の福音の言葉であり、救いの言葉です。教会は神の子、主イエス・キリストの「罪の赦し」を世に明らかにする権威と使命を委ねられています。

2019年01月19日