1/20 聖日礼拝説教要旨

マタイによる福音書9章9~13節
徴税人は税金を集める者たちでしたが、今日の税務署とはまるで違います。彼らはローマ帝国に代わって同胞から税を集めていましたが、自分たちの利益を得るために必要以上の金額を同胞から奪うことをしていました。そのため、人々から同胞を売り渡す罪人と見なされ、徴税人自身も罪人として生きることに開き直っていました。収税所に座っているマタイはまさしく罪の中に座り込んでいる人の姿です。そのような生き方をしていた徴税人マタイをイエス様は見られました。この箇所は、「マタイという人間を見た」という文章で書かれています。そしてイエス様が声をかけられるとマタイは「立ち上がって」イエス様に従いました。福音書はマタイの徴税人になった背景や心情を記していません。罪の中に座っている人を救うのは、それらの事情ではなく、救い主が見、罪の中から呼び出してくださるという「神の御業」によるからです。神さまの救いの御業によってマタイは罪から解き放たれて、立ち上がって従ったのです。その後、マタイや彼の友人であろう罪人たちと食事を共にしているイエス様をファリサイ派の人々が非難しました。彼らはいけにえを熱心に捧げ、律法を守る自分たちの正しい生き方こそ救いを得る手段だと理解していたからです。しかし、救いは神さまのご決断によるものです。そのことが分かると、罪人の中の罪人と言うべき徴税人が神のもとに取り戻されたことを喜ぶ神さまと憐みの心を共にして生きることができます。それこそ神さまが喜ばれることなのです。

2019年01月28日