2/3 聖日礼拝説教から

マタイによる福音書9章14~17節
洗礼者ヨハネの弟子たちが「なぜ断食をしないのか」と質問をしました。徴税人や罪人と食事を共にして、断食をしないイエス様と弟子たちのことが理解できなかったのです。洗礼者ヨハネは、救い主の到来を告げた人物です。そして救い主を迎える前に罪を悔い改めるように迫り、罪の悔い改めのしるしとして洗礼を行いました。救い主の到来は、同時に神様の裁きの到来と理解していたからです。罪を裁く神様が来られる前に、神様に滅ぼされないように悔い改めて、裁きに耐えられるようにしなさいと教えたのです。彼らにとって、神様は裁きの神であり、恐ろしい神様に自分はこんなに一生懸命に罪を悔い改めていますと示すのが「断食」でした。しかし、実際に来られた救い主がお示しになったのは、私たちを救う神様でした。私たちを愛し抜いておられる神様でした。そのために神様の独り子をお与えくださり、私たちの罪を十字架で贖ってくださる救い主でした。私たちを滅ぼすことをしないと決意された神様の愛が到来したのでした。このことを「花婿」の到来に喩えています。神さまは罪人を滅ぼしに来られるのではなく、罪人を愛する花嫁を迎えに来た花婿のように迎え入れてくださる方として、教えてくださいました。婚礼の時は喜びの時、祝いの時です。その時に断食をするのはおかしいことです。イエス様は、救い主の到来は私たちにとって恐れるべきことではなく、喜ばしいこと、それも最高に嬉しいことだと教えられました。しかし、この喜びを真実にいただくために、私たち自身も新しくなる必要があります。それもイエス様を信じる信仰という恵みの賜物として与えられます。

2019年02月14日