2/10の聖日礼拝説教から

マタイによる福音書9章18~26節
イエス様の病と死を退けられた大きな奇跡を伝える箇所です。この出来事を通してマタイ福音書は「信仰」について教えています。12年間患っていた婦人はイエス様から「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。この婦人の信仰の何が奇跡を呼び、病を癒したのでしょうか。信仰を問う時に私たちは信仰を大きい、小さい、重い、軽い、深い、浅いと表現します。これは信仰を「熱心」と同じように考えているからです。私たちの心が燃えていると信仰があり、神様への疑いが起こると信仰が失せてしまう。そんな風に考えます。しかしこれは独りよがりの世界です。マタイ福音書は、信仰は求める「私」と応えてくださる「主」との出会いの出来事だと語ります。娘を失くした指導者が救いを求めます。それに神の子である救い主がお応えになりました。12年間患っていた婦人は癒されることを求めました。この婦人の願いに振り向いて応えてくださる神の独り子である救い主がおられます。マタイ福音書は、主イエスがお応えくださった後に「治った」と記します。救いをもたらす信仰は、私たちの求めに愛をもって応えてくださる方がまことにおられることで成り立ちます。決して独りの事柄ではないのです。神様が共にいてくださることで成立するのが信仰です。娘を失くした指導者も病の婦人も熱心に信じました。しかし、熱心であることに力があるのではありません。救いを熱心に求めてやまない者の声に、神は無関心ではないことが信仰を支えています。振り返り声をかけ、足を運び、手を置いてくださる慈しみの主イエスが「私の信仰」の「土台の岩」(マタイ福音書7章25節)です。

2019年02月21日