2/24のオープンチャーチ礼拝説教から

イザヤ書40章31節
若さや力に溢れた者も、必ず疲れてつまずいて倒れてしまうものだ、と聖書は教えます。日本そうじ協会理事長の今村さんという方がご自身の経験をお話しされています。今村さんは不登校の子を対象にした塾をされていました。不登校の子どもたちに夢や希望、目標を与えればいいだろうと勝手に思い込んでいました。しかし入塾しても次の日には子どもたちは塾にやってきません。そこで家庭訪問をはじめて気が付いたことがありました。それは、例外なく子どもたちの部屋が散らかっているということでした。窓を開けないので散らかったゴミからひどい匂いがしています。そこで今村さんは生徒を誘って一緒に部屋の掃除をしました。するとみるみるうちに子どもの表情が明るくなっていくのを感じました。不登校の子たちは、何年間もゴミだらけの部屋にこもり、部屋にたまったゴミから「お前はだめな人間だ」と囁かれ続けてきたのだと今村さんは言われます。完全に倦んで、疲れ切った心に夢や希望、目標は抱けなかった。そんな中で全人格の否定を囁くゴミを一緒に掃除をして取り除けたことがとても大きなことになったのでした。聖書は、罪の重荷が私たちを疲れさせると教えます。その罪の只中に神さまは救い主としてイエス様を送ってくださいました。そしてイエス様の十字架によって罪を取り除いてくださいます。この神さまの愛をいただいた者を、風を受けてずっと高いところを飛ぶ「鷲のよう」だと語っています。

2019年03月25日