3/3の礼拝説教から

マタイによる福音書9章32~34節
福音書には悪霊にとらわれた人々が登場します。今では医学の知識が増したことから様々な病として理解されることの多い「悪霊」ですが、その特徴は「神を失わせる」ことです。それが病との違いです。今日の箇所では、悪霊のために口をきけなくされている人が記されています。神の救いを求める声を奪われているのです。その人をイエス様が悪霊から解き放って癒してくださいました。一人の人が悪霊の支配から神さまの元に取り戻されたのです。これは大きな喜びです。しかし、それを目撃した人々は、喜びを共にすることができませんでした。多くの人々はただ「すごい」と驚き、ファリサイ派は悪霊のかしらの力で悪霊を追い出していると非難を始めました。神さまと共に喜ぶことができず、驚くだけであったり批評するばかりであった人々が、後にイエス様を十字架につけます。本当に驚嘆すべきことは、たったひとりの人のためにも神さまが心を込めて近づいてくださり、病を癒し、悪霊を追い出し、死すら退けてくださる「憐れみ」を向けてくださっていることです。神さまが一人一人の願いに振り返って耳を傾けてくださり、優しく「元気になりなさい」と声をかけてくださり、家に招き入れ、悪霊から取り戻してくださるのは驚くべき「憐れみ」です。こんなにも神さまに私たち一人一人が愛されていることこそ「起こったためしがない」驚くべき出来事です。この深い「憐れみ」を知る時、神さまと喜びをも共にすることができます。

2019年03月25日