4/21(イースター)の説教から

コリントの信徒への手紙一15章42~49節
イエス様は私たちの代わりに罪に対する神さまの裁きをすべて受けて下さり、十字架にかかり死なれました。しかし三日目にイエス様は復活されました。神さまの愛は、死と滅びの中に愛する者を置き去りにされず、死を打ち砕いて復活の命を与えてくださいます。このことを記念し、神さまの救いを喜ぶ日がイースターです。キリスト教会はこのことを伝えてきました。しかし、この神さまの愛の勝利を告げる復活は、信仰無しに受け入れられることはありません。常に世の知識人が、常識人が、知恵ある者が問いかけました。いったいそれはどういう理屈で起こるのか?科学的根拠は?こういった問いは現代に限らず、教会の最初の伝道の時からありました。イエス様の教えや生き方に共感する人でも、復活だけは受け入れられないと公言する人がいました。復活へのそういった問いに対して語っています。復活は朽ちていくものである今の私たちから推測できるようなものではなく、朽ちない全く新しい命をいただくということなのです。それは復活されたイエス様についての聖書の証言から知らされます。復活されたイエス様は触れることができ、弟子たちと食事を共にされました。幽霊ではなく体がありました。同時に、怯えて部屋に閉じこもる弟子たちの真ん中に現れて、平安を告げられました。恐れや悲しみで私たちを閉じ込める壁を超えて、愛を届け、平安を告げられました。私たちにも、この主イエスの復活の命が同じように神さまによって準備されています。

2019年05月01日