4/28 オープンチャーチ礼拝説教から

マタイによる福音書28章5~6節
「復元師」という仕事をご存知でしょうか?東日本大震災の後に、復元ボランティアの活動として紹介されました。復元師は、「亡くなった方に死化粧をして棺に納める」だけでなく、「亡くなった方の御顔を出来るだけ、生前の面影に近く復元する」ことをします。そのことを通して、ご遺族の悲しみを少しでも和らげ、最期に「亡くなった方の最高の面影」を残して、「死」を受け入れ、穏やかなお別れが出来るように、という意味を込めたお仕事です。
 岩手県の遺体安置所で、ある男性の遺体の復元を復元師の笹原留似子さんがお願いされたときのお話です。棺の傍で、小学生の男の子が言ったそうです。「何度見たって、こんなのお父さんじゃない!」
すでに肌の色は変わり、地面に付いていた顔半分と、光が当たっていた顔半分で色が変わっていたそうです。しかも、何かがぶつかったせいで、顔にはいくつも穴が開いていたと…。笹原さんは、お肌に柔かさを戻すために入念にお顔のマッサージを始められました。穴が開いた所には綿を詰め、特殊なパテを塗って形を整え、傷はファンデーションで見えなくし、笑いジワを強調して血色付けを施しました。そうして、にこやかに微笑む優しいお父さんのお顔を復元しました。ご家族を呼ぶと、さっきの男の子が駆け寄って来て、顔をクシャクシャにしながら叫び出したそうです。「お父さんだ、お父さんだ!お父さん、起きてよ!」
復元師のお仕事は、愛する人の亡骸を目にしたご遺族の、「誰か元に戻して!」という悲痛な叫びに何とかして応えようとしています。それは本当に尊いお仕事だと思います。
「誰か元に戻して!」その叫びは、大切な人を亡くした時、自然と心の中から出て来る呻きだと思います。私たちは時に、全く予期しない悲惨な形で「この世のいのちと体」を失うことがあります。それは、地上においては、愛する人との思い掛けない、逆戻りできない別れとなるゆえに、無性に辛く、悲しいことです。しかし、復元師の話を聞いたとき思わされました。イースターの朝、イエス様のお墓に行った人たちも、お墓の中のイエス様のお姿を見て、お別れを受け入れることを願っていたことでしょう。しかし、そこで神さまは思いもかけない希望、「復元」ではなく「復活」を教えられたのです。「復活」は、元の通りになるだけでなく、もはや「失ったり、死んだり、朽ち果てたり」することがありません。それが、聖書が教える「復活」であり、イエス様が自らの「復活」で示してくださった、神さまが私たちに与えてくださった「いのちの希望」です。
「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた。』」(コリントの信徒への手紙二15章54節)
「死」は、この世のあらゆるものを飲み込んで滅ぼす暴君です。ところが「復活」は逆に「死」を滅ぼして私たちを取り戻す神さまの愛そのものです。「死」から力を奪い取り、「死」が永遠に奪い去ったと思ってたものを、永遠に完璧に取り戻してくれる神さまの勝利です。イエス様は、私たちの罪を赦して救うため、そして永遠のいのちに生かして下さるために、十字架で私たちの身代わりとなって死んで下さいました。ですが、人となられた神、イエス様は、「死」という絶望の闇に閉じ込められたままではありませんでした。ご自分を信じて望みをかける人々に、確かな救いの保障を与えて下さるために、あの日、死に打ち勝って復活してくださいました。十字架と復活を信じる人には誰にでも、同じように復活できる望みを約束してくださいました。
「死」は終わりではなくなりました。「別れ」は人生の結論ではなくなりました。神さまの愛が私たちを捨てず、愛し抜いて十字架に死すら受け入れてくださった神さまの独り子イエス様が私たちを死から取り返してくださいます。

2019年05月04日