5/12の礼拝説教から

マタイによる福音書11章1~6節
イエス様の下に、牢に捕われている洗礼者ヨハネの元から弟子たちが遣わされてきました。「来たるべき方は、あなたでしょうか」と尋ねるためです。洗礼者ヨハネは、救い主の到来が近いことを人々に告げ、イエス様が来るべき救い主であることを人々に示した人です。その人が、自分の示したイエス様が、本当に救い主であるのかということに不安を覚えたのです。洗礼者ヨハネは、救い主の到来を迎えるため、人々に悔い改めを激しい言葉で迫りました。何故なら、悔い改めて神さまに立ち帰らなければ、救いにふさわしくない者として救い主に裁かれ、滅びに定められるからです。しかし、救い主であるイエス様はそんなことはなさいませんでした。人々を滅びに定めるようなことは一切なさいませんでした。それどころか罪人を招き、共に食事をし、神の国の福音を告げられました。洗礼者ヨハネが予想していた救い主の姿とまるで違ったのです。このヨハネの問いかけにイエス様は、「わたしにつまずかない人は幸いである」とお答えになりました。これはヨハネを励ます言葉です。洗礼者ヨハネは今、領主ヘロデに捕えられ牢の中にいます。後に彼は牢の中で死を迎えます。彼自身がそのことを感じていたのでしょう。その時に、自分の期待通りでない救い主の姿に戸惑いを覚えたのでしょう。ヨハネの弟子たちがイエス様の元で見たのは、神に立ち帰り、福音の喜びに生きる人々の姿でした。神さまの御心は、罪人を滅ぼすことでなく、赦し救うことでした。

2019年05月24日