5/19の礼拝説教から

マタイによる福音書11章7~15節
イエス様は洗礼者ヨハネを時代の大転換点を示した偉大な人物として紹介されます。大転換とは何でしょうか。それは、見たいこと、聞きたいことだけを求めて神さまの救いの御心に目と耳を向けない人々の罪の壁を打ち砕いて、神さまの方が救いを携えて訪れてくださるという新しい出来事の到来です。救い主の到来とはそういう出来事です。「彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」(12節)という言葉はそのことを示す言葉です。天の国、すなわち神さまの救いを奪い取ろうとしているのは誰でしょうか。悪魔ではありません。洗礼者ヨハネやイエス様から、見るべきものを見、聞くべきことを聞いて神さまの救いを得ようと願う人のことです。救いを求める人々が殺到していると言われるのです。しかし、見たい者だけを求め、聞きたいことだけを求める者は、救いを取りに来ないことをイエス様は嘆いておられるのです。「あなたがたが認めようとすればわかること」とイエス様は言われます。今や神さまの救いは近くにもたらされており、隠されていません。それは価なしに神さまからいただくことができます。聞くべきことを聞き、見るべきものを見て神さまの招きを認めさえすれば、救いは与えられるのです。魂に命を得るのです。魂はその豊かさを楽しむことができるのです(イザヤ書55章1~3節参照)。神さまはイエス様をお与えくださり、私たちを熱意をもって天の国、救いへと招いておられます。

2019年05月30日