6/16の礼拝説教から

マタイによる福音書11章16~19節
イエス様は「今の時代」をたとえて子どもたちが「結婚式ごっこ」や「葬式ごっこ」に誘っているのに応えてもらえない様子を語られました。これは、洗礼者ヨハネによる神さまの招きにも、イエス様による神さまの招きにも応じなかった様子を指摘しています。洗礼者ヨハネが自分自身を律して厳しい生活をしながら悔い改めと神さまの招きを語ると「悪霊に取りつかれている」と批判し、イエス様が神さまの救いをいただいた罪人と喜びを共にして食事をすると「大食漢の大酒飲み」と非難しました。「今の時代」、すなわち罪の支配の下にいる人は、どんな神さまの招きに対しても非難し、傲慢になってしまうのです。それでは、一体どうしたら人は救いをいただくことができるのでしょうか。「知恵の正しさは、その働きによって証明される」とイエス様は言われます。「知恵」とは私たちの救いを決意なさった神さまの知恵であり、イエス様ご自身のことも示している言葉です。罪のために神さまに対して目も耳も塞がれて、神さまの招きを遠ざけてしまう私たちのために、神さまご自身が人となってくださいました。それが神さまの独り子であるイエス様です。そして、人々の知恵に身を任せて、罪のない方であるのに、「罪人の仲間」となってくださり、罪を負って、十字架で身代わりとなって神さまの裁きを受けてくださいました。この神さまの私たちを愛する愛の知恵によって、私たちの中に「この方こそ救い主」と信じる、新しい時代が到来したのです。

2019年06月24日