7/28のオープンチャーチ礼拝説教から

詩編55篇23節
聖書で「ゆだねる」と翻訳されている言葉は、「放り投げる」という意味の言葉です。自分の重たい荷物のような苦労や、憎んだり恨んだりといった心のこだわり、そういう自分ではどうすることもできないものを「おもいわずらい」と言います。それを思い切って神さまに放り投げてしまうことを「ゆだねる」と言います。聖書は繰り返し「おもいわずらうな」と語り掛けています。「神さまにゆだねなさい」、と勧めています。ですが心配性で疑り深い私たちは、「出来るものなら、そうしたい」と思っても、自分の握りしめている問題を手放すこと自体が怖い、そんなふうに感じて神さまに放り投げることができません。そのような私たちのもとに神さまはイエスさまを送ってくださいました。罪は私たちの誰一人として解決できない究極の重荷でした。しかし、「イエスさまは私たちの背負いきれない一番重たい荷物である罪を私たちに代わって背負ってくださった。イエスさまに背負いきれない『おもいわずらい』はないんだ」ということを教えてくれたのが十字架です。私たちには、自分一人で自分の人生を背負い込むように圧し掛かる「おもいわずらい」に耐えきれなくなる時に頼ることのできる十字架の主が与えられています。「ゆだねる」ということは、「自分を明け渡す」ということでもあります。キリスト教徒の信仰は、自分の力に頼った修行の積み重ねではないのです。私たちを愛される神さまと、イエスさまに「ゆだねた」安心の中で生きることです。

2019年08月20日