8/18の説教から

マタイによる福音書12章38~42節
律法学者とファリサイ派の人々がイエス様に「先生、しるしを見せてください」と言いました。主イエスが神から遣わされた神の子、救い主であるという証拠を見せろということです。イエス様は大変にきつい言葉でお答えになりました。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがる。」「よこしま」とは「倫を外れている、姦淫を犯している」という意味の言葉です。聖書はよく神様と神の民(イスラエル)の関係を結婚に喩えています。結婚のように契約と愛によって結ばれた関係です。結婚に喩えられている神様との関係を裏切っているから「しるし」を求めるのです。神様の愛を信じられないから「証拠」を示せと迫るのです。既にイエス様は、病を癒し、悪霊を追い出し、死者を生き返らせるという奇跡を行ってきました。しかし、神様の愛を信じられない者は、どんな「しるし」を見ても、神様の愛を信じて悔い改めることはできません。「よこしまな時代」の中に生きる者は神様に近づくことができないのです。信仰は証拠を求めていくところに生まれるものではありません。だから、全く新しい「しるし」が与えられることをイエス様は教えられました。それは、私たちのために神の独り子であるイエス様が十字架にかかって罪の罰を代わりに受けて死んでくださり、死から復活されることです。私たちを愛する神様は、愛する子を死に渡されました。しかも神様の愛は、死に勝利され愛するものを復活させる愛です。この救い主イエス様の十字架と復活の時によって、「よこしまな時代」は終わりを迎え、十字架と復活を信じる信仰が神様によって与えられる時代がはじまったのです。

2019年09月09日