9/1の礼拝説教から

マタイによる福音書12章43~45節
 イエス様の真剣な忠告です。汚れた霊は神さまの御心に逆らって私たちを支配するものです。イエス様は悪い時代の者は汚れた霊から「我が家」と呼ばれていると教えられました。マイホームと言うと素敵な言葉ですが、汚れた霊に「我が家」と呼ばれるのは恐ろしいことです。それだけではありません。汚れた霊が出ていくと私たちは、私たち自身が自分の家の主になると思うかもしれません。しかし、そうはならないのです。私たちでは汚れた霊に勝てません。「ここは私の家だ」と頑張っても、汚れた霊にとっては何の力も持ちません。空き家同然で押し入られてしまいます。自分自身を家の主人として掃除をして家を整えた分、前よりもっと汚れた霊にとっては快適になってしまうのです。そこで以前よりもひどい汚れた霊の奴隷にされてしまうのです。大事なことは、汚れた霊に負けない強い方に一緒に住んでいただくことです。それは神様です。使徒パウロはキリスト者を「聖霊の神殿」と呼びました(コリントの信徒への手紙一6:12~20)。神殿とは「神の家」です。私たち自身を神さまが「我が家」と呼んで一緒に住んでくださるのです。私たちを「我が子」と呼んで守ってくださいます。汚れた霊は神さまに勝てません。イエス様は十字架の贖いの救いの御業によって私たちを新しくして、神さまの住まいとしてくださるのです。汚れた霊に支配された悪い時代から私たちを救い、「神は我々と共におられる」という新しい時代を与えてくださるのです。

2019年10月07日