9/8の礼拝説教から

マタイによる福音書12章46~50節
 イエス様は「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母なのである」と言われました。天の父である神さまの家に属するものが私の家族だと言われたのです。このイエス様の言葉から、やがて教会では、お互いを「兄弟姉妹」と呼び交わすようになりました。イエス様は12章で一貫して「家」を譬えに出して語ってこられました。家の外にいる者は、悪霊が主人になっている家に属する罪の奴隷です。しかし救い主であるイエス様が来られ、悪い時代の中で罪の奴隷とされていた私たちを救い、神様の家へと連れ戻してくださいます。そういう新しい時代が到来したのです。救われて、イエス様から家族と呼ばれる者を「天の父の御心を行う人」と言われました。ルカによる福音書はこの言葉を「神の言葉を聞いて行う人」と記しています。神の言葉を行うとは、神様の命のみ言葉に生かされている人ということです。ちょうど当時の家庭のありふれた光景として、一家の主であるお父さんが食卓で家族にパンを分け与えてくれるように、同じ家の家族の集う食卓で、お父さんからパンを受け取れる人は家族です。お父さんからパンをいただくことが兄弟であり、姉妹であり、母であって、奴隷ではない証拠です。そのように、神の言葉をいただいて養われていることがイエス様の家族の証拠です。そこに、「だれでも」加えてくださるのです。今は家の外から中を伺っている者たちを、必ずイエス様は迎え入れてくださいます。

2019年10月07日