9/15の礼拝説教から

マタイによる福音書13章1~9節
 「種を蒔く人」のたとえは、イエス様がお話しくださるたとえ話を聞くための心構えを教えてくれるものです。18~23節にはイエス様ご自身の解説もあります。イエス様はたくさんのたとえ話をなさいました。普通、たとえ話は伝え難いことを、伝わりやすくするために用いるものです。ところが、イエス様のたとえ話は大分違います。イエス様も、たとえ話ですから、大変に分かりやすい言葉でお話ししておられます。種を蒔く人の姿は、当時の人々にとって馴染みのある姿です。当時のやり方で種を蒔くと、道に落ちたり、石地に落ちたり、いばらの中に落ちることがあります。それらは実りません。しかし「良い地」に落ちると実り、多くの収穫をもたらします。お話はわかります。しかしこの話を通して一体何が教えられているのでしょうか。聖書を読む私たちには、すでにヒントが与えられています。このたとえ話が語られる前に、主イエスの家族とは誰か、ということが話題となり、「父の御心を行う人」が家族だと教えられました。これは神の言葉を聞いて行う人々のことです。つまり「言葉を聞く」ことがたとえ話のテーマです。しかし、それでこのたとえ話をすべて悟ったことにはなりません。それだけでは、人の話を聞く「傾聴」の話で終わってしまいます。そこで留まるならば、信仰へ至らない「群衆」の聞き方です。大事なことは、信仰の耳でもってたとえ話を聞くことです。「イエス様の言葉」、「神の言葉」を聞くことを求めることです。

2019年10月23日