10/13の説教から

マタイによる福音書13章18~23節
 イエス様のたとえ話は、語られた言葉を分析するだけでは神の国の秘密を悟ることはできません。十字架にかかり復活された救い主であるイエス様を手掛かりとしたときに、神の国の秘密へと私たちを導いてくれます。種を蒔く人のたとえは、まさにこのことを私たちに教えてくれるたとえ話です。このたとえ話を解説されるイエス様が大事にされるのは「悟る」ということです。良い地とは「御言葉を聞いて悟る人」と言われています。道端・石地・茨の間、いずれも実りにいたることができませんでした。神の国の秘密を悟り、その恵みにあずかることができないという点では良い地以外はみな同じです。どうして悟れないのでしょうか。それは神様がまだ悟ることを許されないからだとイエス様は言われました(11節)。神様が許さないと私たちは良い地となることはできないのです。しかし今や悟ることが許される時が来ました。神の国の秘密の鍵であるイエス様が私たちを神の国の秘密へと導いてくださいます。道端のような者、石地のような者、茨のような誘惑に負けてしまう者、そのような悟ることのない者がやがてイエス様を十字架につけろと叫びました。しかしそこに私たちすべてのものを良い地として受け入れてくださる神様の救いがあります。豊かな実りにたとえられる神様の恵みが与えられます。

2019年10月28日