12/1の礼拝説教から

マタイによる福音書13章47~52節
たとえ話を語られて後、イエス様は弟子たちに「これらのことがみな分かったか」と弟子たちに聞かれました。天の国のたとえ話を通してイエス様は、一つは「古いもの」として、救い主がいなければ救いを求めても行き詰ってしまう私たちの姿を教えてくださいました。それが、たとえ話の中に取り残される群衆の聞き方でした。そして弟子たちには、救い主をお迎えしたものに開かれている「新しいもの」として、救い主をお送りくださる神様の御心を天の国の秘密として教えてくださいました。47節からの最後のたとえ話は、弟子たちに向けて語られています。弟子たちは「人間をとる漁師」として招かれました。しかし人々を救われる者と救われない者に選り分ける者ではありません。救いを定めるのは神様です。救い主としてイエス様が来られ、十字架において私たちの罪を贖ってくださった時、神様の御心は、私たちを救う者と、滅ぼす者とに分けることではなく、世を救うことのみにあることが明らかになりました。天の国のことを学ぶとは、独り子を与え、私たちを救うという神様の御心を知ることです。そのような人をイエス様は学者に喩えられました。イエス様の弟子は、救われるために何をすべきかを学ぶのではなく、私たちを救うために神様が何をしてくださったかを知らされ、救いをいただき、自分の倉から取り出す学者のように人々に証しする者です。

2019年12月26日