12/22のクリスマス礼拝説教から

マタイによる福音書2章1~12節
東方から来た占星術の学者たちが、救い主を訪ね、礼拝をし、宝をささげたという聖書の言葉は大変よく知られたものです。神様の救いの恵みの大きさを示す、聖なる愚かさの物語です。イエス様を探して東方から来たのは、占星術の学者たちでした。彼らの旅の動機は神様への信仰によるのではありません。「星を見た」、つまり自分たちの星占いによってやって来たのです。実に愚かな動機です。この純粋な愚かさを知ると、私たちはむしろヘロデやエルサレムの人々のように不安を覚えるのではないでしょうか。命を懸けて人のために尽くす者、自分をささげて仕える者のように、私たちには理解できない「星」を信じて進む人々によって、私たちの世は支えられています。そこに神様の招きがあるのです。占星術の学者たちは出身も職業も旅の動機も、本来なら神様の救いから最も遠いのです。しかし彼らを神様は導いて、救い主であるイエス様の元へと招かれました。イエス様の元へと招かれ、救い主として拝んだ後、彼らは新しい「別の道」へと、今度は星ではなく神様の言葉に導かれて旅立っていきました。星占いではなく、神様と共に生きる者へと変えられたのです。新しい神の民の誕生です。神様の救いのご決意から漏れている人は誰もいません。神様の救いの中に、自分自身の名を見つけることのできない者は誰一人としていないのです。「すべてを、まず、救う」という神様の愛のご決意が、聖なる愚かさとなって、クリスマスの恵みを与え、十字架の救いを実現されたのです。

2020年01月20日