12/29のオープンチャーチ礼拝の説教から

詩編103篇2節
安東栄子という宣教師の日記を紹介します。「私は不忠実だったけれども、神様あなたの真実はかわることなく私を支えて下さいました。私は汚れ、罪を犯したけれども、あなたのゆるしは私を聖めつづけ、ゆるしつづけて下さいました。私は高慢で、自己中心だったけれども、あなたはいつもへりくだって、誠実をもって教え続けて下さいました。神様ありがとうございました。私は知恵がなく思慮が欠け、軽率な者でしたが、あなたは折にかなった助けとみことばによって私を諭していて下さいました。私には愛がなく、人を憎み、傷つけ、悲しませる者でしたが、あなたはそんな私の本当の姿をご存知でなおかつ私をつくりかえようとしていて下さいました。痛い、苦しい、悲しい経験をくり返して、はじめてあなたのみこころに気づくにぶい者ですが、あなたはあきらめずに私を見ていて下さるのですネ。ありがとうございます。神様、あなたの前に私は裸です。何も飾ることはできません。人生がもうこの年で終わってもいいと思うほどです。」安藤先生はこの日記を記した11日後に交通事故で召されました。安東先生の日記は、ご自身の死を予感しているかのようです。もし人生がこの年で終ってしまったとしても、何も思い残すことがない、と書かれました。詩編103篇も、そのような感謝と賛美の歌です。振り返れば私たちには心残りな出来事や、心を重くする過ちがあります。しかし、その時にも神様は私たちを見捨てず、困難の中で共にいてくださり、赦しと平安を与えてくださいました。だから振り返ると神様の恵みを数えて、感謝と希望をもって新しい時を歩み始めることができます。

2020年01月27日