1/12の礼拝説教から

マタイによる福音書14章22~36節
五千人に食べ物をお与えになったイエス様の奇跡に触れた弟子たちは、大きな興奮を感じていたことでしょう。パンを配るたびに人々から感謝されたことでしょう。しかし、一見すると熱心に見える彼らの思いは、まことの救い主であるイエス様を見失っているものでした。そこでイエス様はすぐに弟子たちを群衆から引き離して、彼らだけで向こう岸へ向かわせられました。しかし、向こう岸に向かう途中で強い風のために進むことができなくなってしまいました。イエス様の命じられた言葉に従って、舟を進ませようとしても風と波のために動けません。大事なのは、この時イエス様が一緒に舟に乗っておられないということです。御心を信じて出発して、困難に出会った時、イエス様の導きを求めて祈ります。しかし、祈りに手ごたえがないこともあります。イエス様の御心は「向こう岸へ行け」と、はっきりしているのに、思うように進めないし、助けを求めてもイエス様のお姿は見えない。そこにイエス様が近づいて来られます。救い主のお姿がここにあります。奇跡をもって人々の称賛を集めるところに立った信仰は救い主を見失わせ、興奮に心を奪われます。それは波を恐れて沈みそうになったペトロのように、私たちをつまずかせます。しかし、まことの救い主であるイエス様は、その時に最も近くにいて手を伸ばして私たちを救ってくださるのです。神様を見失い、他のものに心を奪われる罪人である私たちを引き上げ、救うために来てくださったのが救い主です。このような救い主に出会った時に、「本当に、あなたは神の子です」と告白する信仰が与えられたのです。

2020年02月10日