1/26のオープンチャーチ礼拝の説教から

ルカによる福音書6章37節
人を裁くという罪、それはだれもが日常的におかす手軽な罪であり、しかし多くの人の人生を確実に不幸にしてしまう最もおそるべき罪です。人を裁いて満足感に浸ることは、罪人である人間の特長です。その罪を裁く方がおられます。神様です。しかし、神様から裁かれるべき自分が、実際には神から赦されているということを、もっと本気で考えなければなりません。それは、イエス様は、人を裁く罪から私たちを自由にしてくださるために、神様の裁きを代わりに受けて十字架にかかって死んでくださったからです。イエス様が裁きを引き受けてくださったことで、今日の御言葉は、命令から希望へと変わりました。今日の聖書の言葉は、「人を裁くな」から始まっていますが、神様はこの御言葉を反対に実行してくださったのです。イエス様の十字架によって、あなたがたは赦された。赦された喜びを知ったあなたにも赦してほしい。イエス様が代わりに死んでくださったから、あなたは罪人と決められなかった、だからあなたも人を罪人だと決めないでほしい。イエス様が代わり受けてくださったから、あなたは裁かれなかった。十字架の救いをいただいたあなたも、人を裁かないでほしい。裁きの満足ではなく、愛の希望に生きてほしい。そう神様は願っておられるのです。「裁き」が「愛と赦し」となる希望が十字架にあります。本来神様から裁かれてしかるべき自分が、神様から赦された、という信仰から愛と赦しが生まれる希望へ向けた神様の祝福があります。

2020年03月05日