2/2の礼拝説教から

マタイによる福音書15章21~28節
イエス様は異邦人の住むティルスとシドンの地方にわざわざ行かれました。イエス様が異邦人の地に行かれなければカナンの女に出会うことはなかったでしょう。偶然の出会いではなく、カナンの女の「憐れんでください」という願いを聞くために赴かれています。にもかかわらず、女の願いにイエス様は沈黙されています。弟子たちの言葉を受けて、ようやくイエス様が答えられたのは「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」という神さまの御心を明らかにされた言葉でした。女の願いのためにここまで来られたイエス様ですが、神様の御心はまだ癒しを命じておられないのです。イエス様は神様の御心に従順であり続けられました。ですから、神様の御心を沈黙の中で問い、イエス様も憐みを求めてくださっていたのではないでしょうか。やがて神様は女に見事な信仰の知恵を与えられました。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」主人である神様の憐みは食卓からこぼれる程に豊かです、と言ったのです。この神様が女に与えた知恵の言葉は、神の子であるイエス様を心から喜ばせました。神様の憐みの御心を知ったイエス様は、心から感心して、喜びをもって女の願いどおりに娘をいやしてくださいました。

2020年03月09日