2020/2/16の礼拝説教から

マタイによる福音書16章1~4節
イエス様が救い主なのか、神様から遣わされた方なのかを試そうとして、天からのしるしを求めた人々がいました。その人々にイエス様は痛烈な言葉を返しておられます。天からのしるしを求めるのは信仰熱心なように見えますが、実際は「よこしまで神に背いた時代の者たち」として、神様に背を向けていることをあらわしています。しるしをもって人々を驚かせて、イエス様を救い主として信じさせればいいと誘惑したのは、荒野でイエス様を試した悪魔でした。天からのしるしがあれば信じるというのは、悪魔に支配された心なのです。そのように、人は悪魔の支配する時代の中にいます。しかし、神様はその時代の中に独り子を送ってくださいました。しるしを求めることは神様を試すことで、それは罪です。しかし、このような罪に支配されている私たちを救うために、救い主は来てくださったのです。そして、しるしを与えてくださいます。それを信じるならば、「夕焼けだから、晴れだ」と言えるように、神様の救いの時は来ていると信じるためのしるしです。それを「ヨナのしるし」と言われます。これは旧約聖書のヨナ書のことを示して、イエス様ご自身が十字架で救いの御業を成し遂げられた後、三日目に復活なさることを言われています。死からの復活という神様によるしるしが与えられます。唯一のしるしであるイエス様の復活によって、私たちは神様の救いを信じ、よこしまな時代から神様の救いの完成へと向かう新しい時の始まりを知ることができるのです。

2020年03月23日